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 子どもに「原体験をさせよう」と声高に叫んでも、実際何をさせればいいのか迷ってしまう。触・臭・味の基本体験を用いればいいとわかっていても実際、具体物がないと体験はさせにくい。そこで原体験を具体的に、火、石、土、水、木、草、動物の七つに分けこれらを用いた具体的な体験を満遍なく行えばよいのではないかという考えに達した。そして対象物のない不快や暗闇などのマイナス体験と加え(ゼロ体験)、八つを「原体験の類型と具体的内容」とすることにした。日本古来から伝わる伝統的な遊びや生きていくために不可欠だった生活の知恵も含めこれら多くは「体験から科学へ」と深化させられるはずである。また、これらは科学のみならず、生きていく上での知恵を集大成したものでもあり、「生きる力」を培うのにも不可欠な内容でもある。「何を」「どうすれば」いいのか具体的に例をあげてみたので参照してほしい。これらの多くは原体験教育研究会(原体験教材開発研究会時代も含む)において討論されたものであり、既に廃刊となった「採集と飼育」(日本科学協会)においても「シリーズ原体験」として掲載されてきた。
 ここでは過去十数年にわたって論じられた七つの原体験を国眼が抜粋し、その中で教育とりわけ学校教育で生かされるであろう内容についてまとめてみた。間違い・不備・不具合があったらメールによってお知らせいただきたい。



(1)火体験
 (2)石体験 (3)土体験 (4)水体験 (5)木体験 
(6)草体験
 (7)動物体験 (8)ゼロ体験




1)火体験

 火は”ヒト”が人間になるために重要な役割を果たした。我々の祖先は火を起こし、暖をとり、明かりを灯し、食物を焼いて軟らかくして食べることを覚え、生活を豊かにした。十数年前までは正月には”どんど焼き”があり、火は子どもにとって身近なものであった。また、秋には落ち葉でたき火をしたり、芋を焼いて食べるなど火を用いての楽しい体験は誰でもできるものであった。同時に煙たい、息苦しいなどの不快な体験、また、必ずきちんと消さなければならないというモラルも生活の中から得られるものであった。しかし、現在は、スイッチひとつでほとんどの電化製品は稼働し、マッチを使うことすらない。炎を見ることなく明かりが採れ、暖がとれる。安全装置も精巧にできており、危険を感じたり、ヒヤッとした体験をすることなく大人になっていく。火の危険を強調するあまりに大人が子どもから火を遠ざけてしまったわけである。また、火鉢がストーブに、それがファンヒーターに、そして冷暖房エアコンにと進んでいくと”熱い”ことすら感じること無しに成長していく可能性もある。火は物を燃やし、熱いし煙たいけれど、うまく使えば有用で赤い大きな炎は感動的でもあることを体験させ、同時に消火や防火の意識も身につけさせたい。また、チャッカマンや電子ライター、一昔前の石をこするライター、マッチと時代を戻し、火打ち石、まいぎり式、きりもみ式での火起こし体験から火のありがたさを体で感じ、我々の祖先の知恵を学ばせたい。具体的な火体験としては大きく次の10項目をあげ、発達段階に応じて組み入れていきたい。

a,火起こしをする

 きりもみ、まいぎり、火打ち石、火打ち金、レンズなど

b.起き火から炎へ

 ほくち作り(ボロ切れを炭化、乾いたヨモギの葉)、枯れ草、枯れ枝、鉛筆の削りかす、火吹き竹で吹く

c.火を保つ

 木炭、石炭、油、ろうそく、たいまつ

d.火遊びをする

 ろうそくの火にいろいろな粉をまぶす(砂糖、鉛筆の芯の粉、細かく削ったアルミ缶など)。ろうそくの火をつまんで消す。火をつけたマッチに他のマッチの頭をくっつける。ピーナッツを燃やす。火をつけたマッチを口に入れて消す。いろいろなものを燃やす(髪の毛、爪、ビニール、発泡スチロールなど)。

e.火で照らす

 スイカやカボチャでちょうちんを作る。たいまつを作る。サラダ油、ゴマ油で行灯を作る。空き缶と廃油と凝固剤でろうそくを作る。

f.火で暖をとる

 たき火をする(マッチ1本で焚付けとなる燃えやすい物から順番に燃やしていく)。たき火に枯れ枝を燃やす(スギ、ヒノキ、マツなどの枯れ枝や枯葉を燃やし、燃え方やにおいを知る)。たき火に竹を入れて燃やす(マダケ、ハチク、モウソウチクを入れ、音や燃え方を知る)。

g火で料理をする

 直火で焼く(魚・肉・野菜を焼く、棒焼きパンを作る)。石焼きにする。煮る。ご飯を炊く(飯ごう炊く、竹で炊く)

h.火で動物を捕まえる

 夜にたき火をして炎に寄ってくる昆虫を捕まえる。燻す(木炭と硝酸カリ、硫黄を燃やし、クロスズメバチの幼虫を捕まえる)。

i.火の危険を知る

 爆発する物を火の中に入れる(クリ、ハチク、ギンナンなど)。引火性の物に火をつける(エタノール、キシレン、ヘアトニック、ブランデー、石油、ガソリン、ベンゼン、サラダ油、松ヤニ、水素、ブタンガスなど)。

j.火を消す

 たき火を消す。炭の火を消す。アルコールランプの火をを消す。ガスバーナーの火を消す。コンロの火を消す。油が燃えているのを消す。電気による火を消す。花火の後始末。マッチのかすの後始末。

(2)石体験

 石を加工し、道具として使ったのは人間だけである。ラッコが貝を割ったり、サルが石で物を叩くことはあるが、石そのものを削ったり細かくして道具を作ることはできない。金属が発見されるまでは石はさまざまな道具を作る最もありふれた、重要な素材であった。もちろん、金属も石の中から取り出すので素材の多さまであることは昔も今も揺るぎない。素材というだけでなく我々人類はすべて石の上で生活をしている。意識することなく石は我々の身の回りにあふれているのである。空気中から酸素がなくなって初めて息苦しくなるように、石はその有用性がわからないと存在を意識しない。人間は石を利用してさまざまな道具を作ってきた。そのためには石の個性を知らなければならない。ナイフにするには鋭く割れやすい石、ハンマーや火打ち石にするには硬い石、ペンダントを作るには軟らかい石、と、石には種類によって性質が違う。石で遊ぶ、石で作るというのはそれぞれの目的に応じた有用な物を見つけだして作るという古代の人々の生活の追体験である。しかし、現代社会においては石は人々にほとんど意識されていない。それは生活空間において石が見えること、石が必要なことがほとんどないからである。コンクリートやアスファルトにおおわれた地面では石を意識して探す方が難しい。土が見えているところでも整地がしてあり、転ぶと危険な石は取り除かれている。石を投げる、石をぶつけるなどの行為は危険な行為として禁じられ、石が多くある川原では遊ばないよう指示されている。だからこそ、意図的に石を用いた原体験が必要となってくるのである。

 

a.石を投げる

 遠くに投げる(何度も投げられる、どんな大きさ・形がいいか)。目標物に当てる(離れたところに置いた空き缶、水に浮いた発泡スチロール・流木、バケツに入れる)。水切りをする(どんな石がいいか、投げ方は、何回跳ねるか)。

b.石を積む

 少しでも高く積むにはどうすればいいか(石の種類や形の多様性)。

c.石で絵を描く

 石を並べて描画をする(テーマを決める)。軟らかい石(ろう石など)でコンクリートや硬い石に絵を描く。石の形をよく見て何に似ているかを考え、絵の具やラッカーでストーンペインティングをする。

d.石のにおいを嗅ぐ

 石を割ってすぐにおいを嗅ぐ。燃えたようなにおいのするときは藻類やバクテリアが焼けたにおい。

e.石をなめてみる

 つるつる、ざらざらを舌で感じる。深成岩は凸凹に感じる。ゼオライトは舌に吸いつく感じがする。

f.石器を作る

 刃物を作る(黒曜石かサヌカイト、なければチャートか硬質の頁岩)。ハンマーを作る(硬い石なら何でもいい)。斧を作る(硬い石の台で磨いて作る)。

g.てこやころとして使う

 大きい石を動かしてみる。まず持ち上げて、それから移動する。てこの支点やころの車に適当な石を見つける。

h.ペンダントを作る

 温石(蛇紋岩)を見つけ、ノコギリで適当な形にしてからサンドペーパーで磨き最後は水ペーパーで仕上げる。

i.石料理をする

 石焼きをする(焼けた石の上で肉や魚を焼く)。石鍋(だし汁に具を入れ、焼けた石を鍋の中に入れる)。

j.変わった石を見つける

 白い石を叩いて光らせる(石英質の白い石を暗いところで叩くと光る)。雲母を見つける(はがれやすい雲母を見つけはがしてみる)。川砂から鉱物を見つける(川砂かを洗って泥を取り除き、鉱物や宝石の原石を見つける)。

k.石の危険を知る

 石は道具であると同時に武器であった。今でもモンゴルでは投石による戦いがあると聞く。投げる位置と同時に投げる向きにも注意させたい。また、石を叩いて割るという作業は細かい破片が飛ぶことを頭に入れなければならない。破片から目を守る、他の人に当たらないようにすると言う配慮が必要なのは言うまでもない。また、落石や岩盤の脱落による事故は後を絶たない。石がその重さと硬さ、鋭さ、そして自然の風化によって我々の身体や生命までも脅かすことを忘れてはいけない。

 

(3)土体験

 土は五穀豊穣をもたらすものとして古代から大切にされてきた。これは当時の人々が生態系における土の役割を経験的に認識していたことを示している。しかし、現在、土の重要さは農業に従事する人以外では実感から遠いものになっている。これは都市化に伴い、土とふれあう直接体験がなくなってきているため、以前のような土の大切さが意識されなくなってきたためと思われる。土はまた、土器など生活必需品を作るためにも使われてきた。今でも陶器や磁器のように味わい深いものとして使われているが、プラスチック製品が多く出回っていることで、これらを土からできたものとしてどの程度認識しているかは疑問の残るところである。また、土は土壌として大雨の降った後には小さなダムのはたらきをして、水害を防ぐ。最近、台風の後の土砂崩れの多くは、この土壌の大切さを忘れて開発に走った結果であるとされている。栽培や土器作り、泥遊びなどを通して土と触れ合うことは古代人や農業に従事している人々、また、土を大切にしている人と向き合うことである。我々の食物をはじめ、多くの生命の源としての土を再認識する上で土の原体験を行うことは重要である。

 

a.土(砂、泥)の上を素足で歩く

 川原、海辺、畑、田圃の上を素足になって歩き、感触を体験する。乾いた砂と濡れた砂、砂と土壌、礫と砂の違いを足の裏で感じる。同時に土や砂の温もりを肌で感じる。

b.砂場で遊ぶ、どろんこ遊びをする

 砂に水を含ませ、山や川、建物を作って遊ぶ。校庭などの片隅にどろんこ遊びコーナーを作り、裸足で遊ぶ。

c.土のにおいを嗅ぐ

 神社や寺の林の下の腐葉土のにおい、野菜を栽培している畑のにおい、砂場の砂のにおいを比べてみる。

e.土を燃やす

 砂や粘土と黒い腐葉土を別々に燃やし、燃やす前後での重さを比べる。粘土を集め、いろいろな形にして野焼きにする。

f.土で作る

 土ダンゴやおにぎりをつくり、ままごとをする。粘土層を見つけ、粘土で人形や車などいろいろなものを作る。稲わらをさして土人形を作る。土ダンゴに葉や動物を押し付け化石を作る。粘土で土ダンゴを作り、中をくり抜いて玉を入れて焼き、土鈴を作る。オカリナを作る。

g.土に突き刺す

 稲刈りのすんだ田圃に棒を突き刺す。稲の切り株を結んで的を作り、やり投げダーツをする。

g.砂鉄を集める

 砂場や川原、海岸で磁石をビニール袋に入れて砂鉄を集める。

h.雲母などの鉱物を集める

 川原の砂には何種類もの鉱物が含まれている。砂をフィルムケースなどに入れ、ふたにメッシュをして泥を洗い流す。残った砂を皿に移し、鉱物を探す。ルーペで探さなくても雲母はすぐに見つかる。水晶やアメジスト、サファイヤが見つかることもある。

i.崖を登る。

 冒険的で魅力的な遊びをする。3点を固定して登る。浮き石か一枚岩かを見極める。ロープで補助をする。

j.斜面を滑る

 段ボールを敷いて滑る。板を敷いて滑る。

k.土の危険を知る

 土そのものでけがをすることはないが、土壌が微生物などのはたらきで生きているということは、衛生的に好ましくない菌も多く存在することになる。必ず遊んだ後は丁寧な手洗い、消毒が必要である。また、崖登り、斜面滑りなど無理をしてはいけないのは言うまでもない。

 

4)水体験

 生物は発生の過程を水の中で過ごす。ヒトの胎児は子宮の羊水中で浮遊して成長する。水に対する原体験はこの羊水中から始まっている。幼児が好む水遊びは羊水への無意識の回帰であり、情緒の安定につながるものだと考えられる。また、人間と水とは飲み水や環境、そして飼育や栽培などと極めて密接な関係がある。人類の文化は水とともに作られてきたといっていい。水は単にそれを利用し、生存するために必要であるといった直接的な理解だけでは不十分である。水は豊かな自然を作っていること、さらには生命を支える重要な物質の原材料であることなどの深い理解が必要である。水の体験がなくても水は100℃で沸騰し0℃で凍り、1?が1g?で化学式ではH2Oと書く・・・という知識は誰も持っている。しかし、水の力、水の恩恵、水の恐さは知識だけでは何の役にも立たない。自然を正しく理解し、保全を考えたりする意味で、水に直接触れ、五感で水と遊ぶ原体験が必要である。

 

a.水を手で運ぶ

 手をお椀状にしてなるべくこぼさないように運ぶ。フキやクズの葉のように自然物でコップを作り、運ぶ。

b.蛇口やホースで遊ぶ

 蛇口の向きを変えてみる。蛇口を指で押さえて水の出方を変える。ホースをつないで水を出し、ホースを暴れさせる。ホースの先を指でふさぎ、蛇口からホースを抜く。ホースの先を指で押さえて飛び方を変化させる。天気の良い日に虹を作る。どこまで飛ばすことができるか競う。的に当てる。水のかけ合いをする。水のトンネルをくぐる。

c.水たまりで遊ぶ

 水たまりを歩く(靴の中に水がしみこむ)。裸足で水たまりを歩く。足で水を打つ。水たまりを飛び越える、いくつもの水たまりを連続して飛び越える。水たまりから川やダムを作る。水たまりをつなぐ。

d.雨の中で遊ぶ

 雨でずぶぬれになる。雨垂れを見る。雨垂れの音を聞く。

e.川で遊ぶ

 川のにおいを嗅ぐ(有機物、硫化水素、草のにおい、魚のにおい)。川の音を聞く(せせらぎ、濁流)。川の水を飲む(上流の場合だけ)。湾処を作る(川の水を引き入れ、せき止める)。笹舟を流す。木を流し石を当てる。滝に打たれる。川で泳ぐ。もんどりを仕掛ける。魚釣りをする。川を渡る(靴を履いて歩いて渡る)。川の石をひっくり返す(水生昆虫を探す)。流速を測る。筏を作る(木、タケ、1灯缶、ペットボトル)。水ロケットを飛ばす。

f.海で遊ぶ

 海水に触る(少しベトベト)。海のにおいを嗅ぐ(漂着物、海藻、塩分)。海水をなめる(食塩を溶かしたときと比べてみる)。波の音を聞く。波で遊ぶ(棒立て、文字書き)。タイドプールを作る(魚を閉じこめる、アメフラシやイソギンチャクで遊ぶ)。フジツボを食べる。カメノテを食べる。カサガイ、イガイを食べる。

g.水圧で遊ぶ

 水鉄砲を作って飛ばす。水ロケットを作って飛ばす。

h.自然水を飲む

 わき水を飲む。フキの葉でコップを作って飲む。ビニールシートで雨水をためて飲む。ビニールシートで地中の水分を集めて飲む。落ち葉をビニール袋に集め日に当てて水を集める。竹の節にたまった水を集める。イタドリの節にたまった水を集める。砂利や砂を使って水をきれいにする。沸騰させて水をきれいにする。

i.雪や氷で遊ぶ

 面作り、体の鋳型作り、飛び込み、雪鉄砲、雪埋め、落とし穴、迷路、染み渡り、つるつる土俵、雪合戦、木の枝の雪落とし、屋根から落ちてくる雪落とし、雪だるま、滑り台、かまくら、雪を食べる、氷柱を食べる、雪ウサギ、雪灯篭、氷柱投げ

 

(5)木体験

 我々人類は森林起源の動物で、かつては樹上生活をしていた。そして、生活の場を陸上に移し、2本足で立って地上生活を始めることにより両手が解放され、木や草、石など多くの自然物を素材として道具を作るようになった。その中でも加工のしやすさと入手のしやすさで、木は生活になくてはならない物であった。道具作りの前には木の実は大切な食料源でもあったことは言うまでもない。繊維を利用しての衣服、薪や炭の燃料としても木はその有用性においておおいなる地位を築いた。木にはその種類によって香りがあるものや、よくしなるもの、軽いもの、虫のつきにくいもの、燃えやすいもの、燃えにくいもの、水分を吸収しやすいもの、しにくいもの、などさまざまな個性がある。木を利用したり、木の実を食べたり、木の葉をとったりすることで、これらは感覚的に理解され、知恵となり、木の文化として受け継がれてきた。しかし、現在は素材としての木の需要は、さらに安価で大量生産しやすい金属やプラスチックにとってかわり、工業製品として機能だけを追究するには木はその存在意義が薄れてきた。それと同時に人と木の接触は次第に希薄なものになっていった。木には”あたたかみがある”とよく言われる。木が日常の生活で普通に使われていたころなら取り立てて”あたたかみ”を云々されることはなかったであろう。しかし、同品質で同型同色の工業製品にとって変わられた今だからこそそう言われるに違いない。その反動でか、最近、森林浴や並木の復活、自然散策、自然観察会などがよく催される。生活の中ではかえって高価になってしまった木の温もりを五感で感じさせようとしたものであるが、こういった機会にでも(もちろん学校教育でも)木の幹、葉、実に接することで木の特性に触れる原体験をさせていく必要がある。

 

a.樹皮に触れる

 樹皮が厚く亀甲状に裂ける(クロマツ、アカマツ、カキの老木など)。裂け目が縦のもの(スギ、ヒノキ、コウヤマキなど)。裂け目が横のもの(サクラなど)。滑らかなもの(サルスベリ、ヒメシャラ、アオギリ、モチノキなど)。とげがあるもの(サイカチ、タラノキ、カラタチなど)。樹皮がはげるもの(コウゾ、ミツマタ、ガンピなど)。

b.木に触れる、木を囲う

 大木を両手で抱えてみる。木を押してみる。木をゆする。

c.木のにおいを嗅ぐ

 木の葉や小枝を折ってにおいを嗅ぐ(クスノキ、ニッケイ、クロモジ、クサギ、ゴマギ、スギ、ヒノキ、ビャクダン、サンショなど)。

d.樹液に触る、嗅ぐ、なめる

 樹液をとってにおいを嗅ぐ(サクラ、マツなど)。樹液に集まる動物を捕まえる(クヌギ、コナラ、ヤナギ、ハンノキ、ニレなど)。かぶれる樹液を確かめる(ハゼノキ、ヤマウルシ、ツタウルシ、ノウルシなど)。樹液をなめる(マツ)。樹液で遊ぶ(松ヤニでシャボン玉、松ヤニでブンブンゼミ、松ヤニ舟など)。

e.朽ち木に触る

 朽ち木の皮を矧いでボロボロになっている様子を見る。キノコの付着を見る。カミキリムシ、ガ、キクイムシなどを見つける。

f.木の芽を食べる

 ウコギ科のタラノキの芽、タカノツメ、コシアブラを天ぷらにして食べる。 

g.木の実を食べる

 そのまま生で食べる(キイチゴ、クワ、サルナシ、ヤマブドウ、アケビ、ガマズミなど)。さらしたり炒めたり灰汁を抜いたりして加工して食べる(マテバシイ、カヤ、スダジイ、ツブラジイ、シリブカガシ、コナラ、クヌギ、アベマキ、トチなど)。

h.木の花を食べる

 ヤマツツジの花は生で食べられ、おいしい。

i.木の葉で遊ぶ

 タラヨウの葉に文字を書く。ホオノキやトチノキの葉で面や飛行機を作る。ツバキやヒイラギで風車を作る。木の葉のカルタ取りをする。パウチや木工用ボンドで保存する。強アルカリで葉脈標本を作る。落葉を踏む。木の葉のマットにダイビングする。

j.木の実、種で遊ぶ

 どんぐりで遊ぶ(コマ、やじろべえ、笛、どんぐりぐるぐる、人形、念力、イモムシなど)。シャボン玉遊び(トチ、サイカチ、ムクロジなど)。種子を飛ばして遊ぶ(カエデ、ツクバネ、アオギリ、ウバユリ、ガンドウカズラなど)。

k.木の枝や幹で遊ぶ

 パチンコを作る。ぶちゴマを作る。丸木舟を作る。木にインクを吸い上げさせて染め木を作る。染め木でペンダントを作る。木のツルでリースを作る(フジヅルなど)。木に登る。木の上に基地を作る。

l.タケで遊ぶ

 タケは草本とも木本とも区別しにくいが、1年物の篠竹を使うときは草本とし、数年たった篠竹やマダケ、モウソウチクなどを使うときは木本とした。

 タケトンボを作る。チャカポコけん玉を作る。タケで弓を作る。紙ダマ鉄砲を作る。野菜鉄砲を作る。水鉄砲を作る。タケのフォーク、箸、コップを作る。タケでご飯を炊く。タケで野菜を炒める。

 

(6)草体験

 野草は最も身近に触れることができる自然である。春にはスミレが咲き、タンポポの花が一面に広がる。田圃にはレンゲが咲き誇り、空気中の窒素を固定し、肥料を作るはたらきをするほか、蜜を吸ったり花輪を作ったりとレンゲつみをする子どもが戯れることで春の到来を我々に告げてくれる。人々は野草を食べ、薬にしたり、遊んだりで草花とともに四季を肌で感じとってきた。しかし、現在の子どもは学習の対象となる園芸植物は知っていても野草となるとほとんどその名前すら知らない。園芸植物は季節とは関係無しにいつでも簡単に入手できることから、草花による季節感とは疎遠になってきている。草の中に入ったり、草むらに隠れたりすることは、カやブトにかまれる、汚れると敬遠し、草のにおいや草いきれを感じることもない。草体験ではそういった意味からも草に触り、におい、そして食べられるものは食べてみることからスタートするのが重要である。そして、草を使った遊びをふんだんに取り入れ、「名前は知らないけれど酸っぱい草」とか、「名前は知らないけど笛が吹ける草」と言うように名前そのものよりも体験で草を印象づけるようにしたい。

 

a.草をそのまま食べる

 「道草を食う」と言うが、帰りに用もなくぶらぶらするというのではなく、本当に道端に生えている草を食べる。春のスイバ、イタドリ、カタバミは酸味があってなかなか食べられる。チガヤは若い花穂を抜き取ってかむ。秋には根茎をかむと甘くておいしい。ツバキやツツジ、レンゲの蜜も甘い。スイカズラやアカツメクサの蜜も吸わせてみたい。花びらが食べられるのはヤマツツジ。甘酸っぱくてとてもおいしい。 

b.草を手を加えて食べる

 昔から日本には野草を食べる習慣があった。ワラビやゼンマイ、フキノトウなどは有名であるが、もっと身の回りにありふれている野草でも少し手を加えると意外においしく食べられることを体験させたい。具体的には ツクシ(油炒め、醤油煮、玉子とじ)、セリ(ゆでる)、ナズナ(ゆでる)、タンポポ(天ぷら、根を乾燥させ、炒ってコーヒーに)、ヨモギ(天ぷら、草餅)、レンゲ(ゆでる)、クズ(新芽を天ぷら、根からクズ粉をとり、くずもち)、ヨメナ(天ぷら、よめな飯)、オオバコ(油炒め、天ぷら、オオバコ茶)、ドクダミ(天ぷら、煎じて飲む)、などである。

c.草笛を鳴らす

 草笛は自然遊びのスタートとしてたいへん入りやすい。材料が多い上、種類も豊富で、特に春なら戸外にさえ出ればいつでも簡単にできる。竹笛やイタドリ笛を除いてはナイフなどの道具もいらない。試行錯誤でコツをつかむことで成就感を味わえ、たとえうまく行かなかったとしても、何度でも挑戦できる。具体的には タンポポ笛(タンポポの花茎の太い部分を数p切り、一端をつぶして、つぶした方から吹く)、カラスノエンドウ笛(カラスノエンドウの鞘をあけ、中の種子をきれいに出し、雌しべ側から吹く)、スズメノテッポウ笛(花穂を引き抜き、くわえて吹く)、ヨシ笛(ヨシの葉を元から巻いてジョウ型にしたものを一端を少しつぶして吹く)、キジ笛(カモジグサなどの薄くて細い葉を両手で挟み口を当てて吹く)、イタドリ笛(イタドリの一端の節を残し、片方から下唇を当てて吹く。たくさんつなげてパンパイプにする)、ヤマドリ笛(イタドリを5p位に切り、真ん中に穴をあけて両端を持って吹く)、リード笛(若い篠竹かイタドリを斜めに切り、ササの葉をリードにして吹く)、ウグイス笛(篠竹に穴をあけ、もう1本の細い篠竹で息を吹き込む)、ヒバリ笛(篠竹の端から3p位のところをナイフで切り込み、口の方からセイタカアワダチソウの茎で半分くらい栓をする)、などがあげられ、すぐできるものから、やや熟練を要するものまで程度もいろいろあるのでどの発達段階でも容易に導入できる。

d.草で風車、水車を作る

 葉や茎で風車や水車を作る遊びは単純な遊びであるが、その植物の性質をよく知っていないとできないため、遊びから知識へとつながることでその意義も大きい。ヒイラギの葉は鋸歯が鋭いため、指で2点を支持し、風を送るだけでよく回る。ツバキの葉は表から裏に向け大きく反っているため、これを風車型に切り、中央に表面から木の枝や松葉(爪楊枝でも良い)を刺して軸とし、篠竹や麦わら、ストローに入れると弱い風でもたいへんよく回る。レンゲの茎をタンポポの花茎に入れて息を吹きかけてもよく回る。また、タンポポの花茎ややイタドリの茎は、ナイフで裂いて水に浸すとくるくると反り返るので、中に針金などの軸を通して風車や水車を作ることができる。

e.草を投げる

 石体験の項でも述べたが、ものを投げたり弓を射るという行為をしたくなるのは我々が狩猟民族だったころの名残りとして潜在的に欲しているのだと思われる。投げやすいもの、弓や矢になりやすいものを見つけ、その性質や生育場所を考察する一助にしたい。具体的には セイタカアワダチソウの投げ矢(葉をしごいて落とし、根に少し土を残して矢にする)、ススキやチガヤの矢、サトイモの流れ星(茎の元を少し折り、皮をすーっと矧いで投げる)、オシロイバナのパラシュート(花を付け根の苞の部分から摘み、雄しべをとって苞を引くと花と苞が離れ、雄しべの糸でつながる)、コスモスのヘリコプター(花弁を1つおきに摘み、プロペラ状にし、投げる)、ツクバネ・カエデ・アオギリの種子をを投げ上げる(くるくると回って遠くに飛ぶ)、オナモミ・アメリカセンダングサを衣服を狙って投げる、などがある。投げて遊ぶものから種の保存のための工夫まで、遊びから科学的な思考へとつなげていける。

f.その他の草遊び

 草相撲(オオバコ、スミレ、カタバミ、マツ、エノコログサなど)、色水遊び(アサガオ、ツユクサ、オシロイバナなど)、オオバコの占い、クズの葉鉄砲、フキのコップ、ナズナの三味線、エノコログサの口ひげ、コウゾリナのワッペン、冠や首飾り(シロツメクサ、タンポポ、レンゲなど)、オシロイバナのおしろい遊び、ササの葉舟など。

 

(7)動物体験

  動物とヒトとの関わりは長く、深い。太古の昔、動物はヒトにとって食うか食われるの存在であった。動物から身を守る手段と動物をいかに効率よく獲得するかの方法はまさに生死に関わることであった。同時に必要に迫られ、動物の性質も扱い方も知り、理解していった。自然の動物に触れることは野山を走り回ることであり、川や海にはいること、田畑や畦で作業をすることである。他におもしろい遊びも無い時代に楽しく、冒険心をもって遊んだり、作物を収穫することが収入の大半を占める頃には、特に意識しなくても動物は身近な存在であった。動物そのものを食べる必然性は無くても、遊ぶ、食べる、暮らすと言う中に動物体験はそれなりの地位を保っていた。子どもたちだけで野に出ることがほとんど無くなってきた現在、もちろん田圃の畦道を走ることもない。川や海も禁止か保護者同伴が義務づけられている中、動物に触れる機会は極端に少ない。確かに野山や田圃に出なくてもいろいろな動物は多く存在する。垣根にはコオロギ、ダンゴムシ、カナヘビが、石垣にはヘビやトカゲ、池にはカエルやザリガニ、イモリ、カメもいるし、トンボも飛んでくる。しかし、それらを捕まえて触って遊んで飼ったり、ということにはほとんどならない。なぜなら、動物に興味を示す子ども、即ち、幼児から小学校低学年の子どもの親の世代が既に、動物体験が非常に乏しい世代になっているからである。視聴覚教材の発達や図鑑、テレビの特集などで知識として、動物の名前、特に珍しいものなどは知っていても実物を見たことがないのがほとんどである。したがって、咬むかも知れない、毒があるかも知れない、恐い菌がついているかも、という発想が頭をもたげ、子どもの動物体験に二の足を踏むのが現状である。動物園的な見る、(鳴き声などを)聞く体験だけではなく、実際に身の回りに生息している身近な動物を触って臭って時には味わってみる体験は、子どもだけでなく、その親にとっても急務であると言える。また、動物体験は他の体験と違い、五感である触覚、嗅覚、味覚、視覚、聴覚をすべて用いることができる。石や火は食べられないし植物は鳴かない。したがって五感をフルに動員し、感性を磨くのにも動物体験は有効である。さらに、動物は人の心をなごませてくれる。ペット好きの人が多いことで明かであるが、言語を理解できない動物に多くの人は対話を持とうとする。鳥のさえずりを聞いて不快感を示す人は皆無であろうし、花畑をチョウが舞う光景には日頃のストレスを忘れさせられる。そして、動物体験は触る、臭うなどの原体験から高次の科学概念への発展性が強い。捕まえて触る、臭うの原体験から、飼育、エサやり・尻替えの基本体験、雌雄の同定・交尾・繁殖・給餌行動・エサ確保の食物連鎖・種の分類・動物生理(呼吸・消化・排出等)など高次の抽象化、概念獲得へのインターフェースとなり得る可能性が強い。そのためにも触れることから始まる原体験の必要性は強いと考えるのである。具体的に比較的簡単に行うことのできる動物体験を以下に示した。

 

a.虫(昆虫など)で遊ぶ

○虫をつかまえる

 傘を使って虫を捕まえる(木の枝の下の方に傘を逆さに広げ木を叩く)。木に蜜を塗って虫を捕まえる(クヌギやアベマキの木に糖蜜を塗って次の日捕まえる)。トラップで虫を捕まえる(ビンやコップに蜜や腐肉を入れ、地面に埋める)。朽ち木から虫を捕まえる。虫えいから虫を探す(虫こぶを縦に切る)。ブラックライトで虫を集めて捕る。草原で網を振る。

○虫で遊ぶ

 カブトムシの相撲、カブトムシの牛車、ダンゴムシを丸まらせる、ダンゴムシの迷路、アリジゴクにアリを落とす、アワフキムシの泡を吹いておどかす、バッタのオスを木切れで釣る、キリギリスをタマネギで釣る、ハエに曲芸をさせる(羽根をセロハンテープで机につけ、発泡スチロール片を回させる)、アメンボを洗剤でおぼれさせる、クモに振動を与えておどかす、ミノムシにアクセサリーを作らせる、シャクトリムシで長さを測る、カタツムリの殻を再生させる、ザリガニを釣る、ザリガニに砂鉄を与え操りザリガニを作る

○虫を食べる

 ドングリムシを食べる(クヌギやアベマキのドングリに住みついたゾウムシの幼虫を炒って食べる)、ハチの子を食べる(クロスズメバチの幼虫やさなぎを炒ったり焼いたりして食べる)、テッポウムシを食べる(カミキリムシの幼虫を木から探し焼いて食べる)、イナゴを食べる(田圃でイナゴを捕り、1日おいてから佃煮にしたり焼いて食べる)

b.両生類、爬虫類と遊ぶ

 魚類は魚を釣ったり食べたりすることで親しみと同時にその有用性が理解されており、鳥類や哺乳類はかわいいペットとして今の子どもたちに比較的近い存在である。また、昆虫は採集を目的として親しまれている。しかし、ことさら両生類と爬虫類に関しては恐い、気持ち悪いという先入観があってか接する他の動物に比べ接する機会が少ない。同時に、これらの動物は表皮、呼吸形態、産卵形態など、教材として大変有効であるにもかかわらず親や教師も近づきたがらない。採集も飼育も大変容易なためこれらの動物と親しむ体験を重要視していきたい。

○カエルと親しむ

 カエルを捕まえる(アマガエル、トノサマガエル、ウシガエル、ツチガエル、ヒキガエルなど生育場所や四肢の形態も併せて観る)、カエルの表皮に触ってみる(粘液のヌルヌルを感じさせたい)、カエルに催眠術をかける(腹部をさする)、カエルを飼う(フタホシコオロギなどの生きた昆虫をエサに与える)、カエルを食べる(アカガエル、ヒキガエル、ウシガエル)

○イモリやサンショウウオと親しむ

 カエルを見たり触ったことがないという人は皆無に近いが、イモリやサンショウウオとなるとその判別もできない人が多い。また、サンショウウオと聞くと大人でも多くの人はオオサンショウウオのみを連想する。春に産卵のため山から下りてくるサンショウウオを田圃の側溝で捕まえるのが一番効果的である。また、両方とも釣り用のミミズで飼うことができるので飼育も難しくない。カエルと同じようにオタマジャクシからの変態を観察させ、爬虫類との違いを理解させたい。

○爬虫類と親しむ

 トカゲやカナヘビ、ヤモリなどは普通一般に見かけることのできる爬虫類である。トカゲは尾を自切して逃げやすいがカナヘビは長い尾をつまんで持っても大丈夫である。ヤモリも自切をするため扱いには注意が必要である。イモリとヤモリは名前がよく似ているため間違えやすいが実物を見て触るとその違いが明らかになる。カナヘビはその名前からヘビと間違えられやすいのでぜひ、見せておきたい動物である。飼育は容易だが生き餌が必要なのでフタホシコオロギをエサとして用意したい。

 同じ爬虫類でもヘビは最も嫌われている動物である。舌を出す、瞬きをしない、すぐ咬みつく(ように思う)、ヌルヌルしている(ように思う)など嫌われる要因はいろいろあるが、ヘビが恐いというのはその大部分が教育によると言われている。恐い恐いと大人から聞いているからそう感じるだけでマムシやハブなどの毒ヘビを除けば容易に飼育でき、手にとってなでてやることも可能である。ヘビは飼い主になれるのではなく、扱い方になれる。したがって慣れた人と同じように扱えば誰でも触ることは難しくない。やさしく扱えば攻撃を仕掛けないことを学習するだけでも大いに勉強になる動物である。長く伸びた肺での呼吸、顎をはずしてカエルを食べる様子、ヘビ-カエル-フタホシコオロギという食物連鎖、ヘビの産卵など教科学習としての発展性は高い。

 最後にカメであるが普通見られるカメはクサガメかイシガメである。クサガメは大変においのでぜひ、1度はにおいを嗅がせたい。「カメは甲羅を脱ぐとどうなるのですか」という質問を多く聞く。決して幼児や小学生ではなく、大学生や大人であったりする。漫画のように甲羅の中には黒い、4本足の動物がいるのだと思いこんでいるのだろう。スッポンを触った経験があるとそのような誤解はなくなる。スッポンの甲羅は大変軟らかく皮膚だということがよくわかる。エサは動物でも残飯でも何でも食べるので飼育は簡単であるが水換えをしないと不潔になる。

c.海や川の動物と遊ぶ

 これらは水体験とも関係するが、海や川、湿地などは動物の宝庫である。水遊びをしっかりした後、動物探しに行くのは大変楽しいひとときである。飼育している動物に触れることも体験としては意義深いが、何といっても生育している動物に触れることほどその生態や環境を理解できることはない。安全に海や川で動物体験できる場を設定することが必要である。

○海での動物遊び

 イソガニやスナガニを捕まえる、アメフラシに墨ふきをさせる、イソギンチャクに指を入れてみる、ヤドカリに引っ越しをさせる、ウニやヒトデを手に乗せ、管足の感触を味わう、カメノテを食べる、マテガイ釣りをする、タイドプールで小魚を捕まえる

○川での動物遊び

 サワガニとりをする、ザリガニ釣りをする、もんどりを仕掛けて魚を捕る、アメンボを捕っておぼれさせる、石をひっくり返して水生昆虫を捕る・水生昆虫の種類で水質調べをする

d.山で動物をさがす

 動物の足跡を探す、足跡を石こうでとる、ネズミのトンネルを探す、ネズミのトンネルを石こうどりする、糞を探す、食べ跡を探す

e.動物の声を聞く

 カエルの声を聞く(ヤマアカガエル、シュレーゲルアオガエル、トノサマガエル、アマガエル、ウシガエルなど)、セミの声を聞く(ハルゼミ、クマゼミ、ツクツクホウシ、アブラゼミなど)、コオロギやスズムシの声を聞く、夜の山で獣の声を聞く(シカ、ムササビなど)

f.バードウオッチングをする

 水辺のウオッチング、田園のウオッチング、林のウオッチング、声を人の言葉にイメージしてしゃべってみる(ピーチクパーチク、一筆啓上仕り候、特許許可局など)

g.動物の危険

 多少の差はあるにせよ基本的に動物体験には危険が伴うものである。虫の多くは手で触ると咬もうとするし、咬んだり刺されたりすると痛みや痒み腫れは当然覚悟しなければならない。両生類には危険が少ないがカエルのなかま特にヒキガエルは体表から毒を出すので触った手で目をこするなどの行為はしてはいけない。爬虫類はかなり注意が必要である。ヘビの仲間では毒蛇については場合によっては命に関わるので動物体験から外す。しかし、本州では毒蛇はマムシだけを考えればよいのでそう神経質にならなくても良い。ヤマカガシも毒蛇であるが毒腺が喉の奥にあるので普通に触るのには問題ないが指をつっこむと危ないので注意は要る。ヤモリやカナヘビ、トカゲなどはたとえ咬まれても痛みはほとんどないので恐がる必要はない。ヘビも(毒蛇を除く)多少血の出ることはあるが思っていたより咬まれた痛みは小さい。幼蛇やヒバカリに至ってはカナヘビに咬まれた程度である。カメは普通、頭付近に手を持っていくと首を引っ込めるのでほとんど咬まれることはない。ただ、スッポンは首が長く、鋭い牙があるので頭の近くに手を持っていかないようにしなければならない。カメの表皮にはボツリヌス菌が多いのでそのまま食事をすると危険である。カメだけに関わらず、どんな動物でも触った後はきちんと手洗いをするべきなのは言うまでもない。川や海では動物そのものより、水に対しての危険の対策を講じておかなければならない。山歩き、とりわけ夜の動物観察や動物の声を聞く体験でも安全のための下見は肝心である。

 動物体験だけでなくここであげた原体験の多くはもともと少なからず危険の伴うものである。危険を始めから除外してまったく子どもたちを危険にさらさないことで学習を進めていくよりも、大きな危険を回避するために小さな危険やヒヤッとする緊張感は体験させておく必要がある。危険に対する過度の敏感さは体験しようという意欲や熱意と相入れないものである。どれが大きな危険か、どのくらいの危険なら良いかを押さえた上でプログラムを構成していかなければならない。

 

(8)ゼロ体験

 ここまで述べてきた7つの原体験はすべて対象物が存在する。植物、動物、石、火、土など生物、無生物また、有機物、無機物の違いはあるがそれらは目で見え、形があり、扱うことのできるものである。しかし、これから述べる「ゼロ体験」にはそういった対象物がない。「ゼロ体験」と括るのは具体物がないためである。

 

a.不快体験

 ヒトだけでなく動物の意欲の原点がこの不快からの脱出である。飢え、渇きなど飽食の時代にはほとんど体験できない。キャンプや自然学校などを利用して体験させることで、水のおいしさ、食べる物が常にあることのありがたさを感じさせたい。また、意欲の原点は工夫と行動を引き起こす。食べる物を探したり作ったり、飲み水を自然物から採る知恵を身につける体験は原体験の最も意図する生きる力に通づるものである。また、空調設備が発達した現在、暑さ、寒さを体感することも少なくなっている。天然のもので涼をとったりわずかな工夫で寒さが防げたりすることを体験させたい。

 精神的な面で言えば、人はつらいこと、悲しいこと、嫌なことを適期に体験することでストレス耐性が構築できる。過保護にされ無菌状態で、不便なこと、不都合なことを経験せずに思春期を迎えると不登校、いじめ、自殺などさまざまな問題が生じると考えられる。不快体験はその後の科学認識のみならず人間形成にも大きな影響を与えると考えられる。

b.情感体験

 不快体験と同時に心が晴れ晴れする、すがすがしくなるような気持ちや刻々と変化し不思議に感じたり、ぼーっと変わりゆく様を眺めたりする体験をさせたい。具体物が何もなくても、眺めたり、音を聞いたり、歩いたりして簡単に得られる情感体験がある。例えば日の出を見る、夕焼けを見る、早朝体験をする、星を見る、月を見る、風圧を感じる、もがり笛を聞く、水の流れを見る、暗やみを歩く、林を歩く、大木を見るなどの情感体験である。これらも7つの原体験とともに子どもにぜひ味わわせたい体験である。



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