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窮理への道  窮理ってキュウリ?

窮理への道  窮理ってキュウリ?

 福沢諭吉は、西欧の科学を紹介した当初、その訳語に窮理という言葉を用いています。  現在は、教科としては理科という言葉が使われています。戦後、急激な科学の発達に伴い、新しい科学の教科書が欧米で作られ、翻訳の形で日本にもその内容が取り入れられました。私も「BSCS」という生物の教科書のイエローバージョンの訳に加わりました。この時には探求あるいは探究という訳語が使われ、窮理や究理および求理が使われることはありませんでした。  窮理は文字通り、理を窮めるという意味です。言葉としては優れたものですが、実際には物を窮める(究める・極める)ことは容易ではありません。江戸時代の俳人、松尾芭蕉は「松のことは松に、竹のことは竹に聴け」と言う有名な言葉を残しています。なるほど、松の理は松に、竹の理は竹にあることは確かですが、物言わぬ自然を対象にするときは、人がこれを引き出す以外に方法はありません。ただ、事象を知るには書物だけでは限りがあります。書物から得るものは、どれほどのものも博学の範囲です。実学が伴わなければ、あまり有効とは言えません。

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