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無駄のすすめ  効率的には無駄でも教育的には無駄でない

無駄のすすめ  効率的には無駄でも教育的には無駄でない

 「無駄」という言葉は囲碁の「無駄目」が縮まってできたという説が有力ですが、「役に立たない」、「益がない」「効果がない」「余計なこと」という意味です。  広く使われる言葉で、無駄口、無駄花、無駄使い、無駄骨、無駄食い、無駄足、無駄話など、いくつもの無駄を冠する言葉が浮かんできます。各種の国語辞典で“駄”を引いてみると、1)馬の背に物を背負わせる。のせる。「駄馬・駄賃」2)馬にのせた荷物、「荷駄(にだ)」3)荷役に使う馬。乗馬にならない劣った馬。「駄馬」4)ねうちのない物。「駄菓子・駄作・駄句・駄本・駄洒落(だじやれ)・駄目」5)はきもの。「下駄(げた)・足駄(あしだ)・雪駄(せつた)」などの記載があります。  いずれも、あまりいい意味に使われていませんが、学問的な研究では一見無駄と思われるものが素晴らしい結果に結びつくことがあります。キュリー夫妻の発見も、最近では日本人の田中さんがノーベル賞を受賞した研究も、一見無駄のような研究の積み重ねによる賜物ものです。無駄のようだと表現しましたが、それらは偶然ではなく必然性から来た飛躍的な発見と言えます。ニユートンの引力の理論もアインシュタインの相対性理論も、100年後あるいは300年後に実用的な宇宙工学などに利用され、初めてその真価が一般的に認知され理解されることになります。   すぐに眼に見えて役に立たないことは、無駄と判断されてしまいがちです。一般的な「無駄」という言葉で一括りにすると、大切なことまで切り捨ててしまうことになりかねません。教育においては無駄を無くすための精選厳選がさかんに行われて来ましたが、果たしてそれは有効だったのでしょうか。無駄とは何かをもう一度原点で考えてみる必要がありそうです。

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