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生物学の視点での子育て12 集団の中の個

生物学の視点での子育て12 集団の中の個

 多くの親は子どもをなるべく「良い」学校に進ませたいと願っています。この「良い」の基準が問題ですが、世間一般でいう進学校としての格付けは昔も今も、あまり変わりません。  旧制では中学から入試がありました。現在でも中高一貫教育の私立校などはそのようになっています。旧制中学の受験に沿うように、小学校での成績順に受験する学校が決められました。つまり、小学校のクラスで学業が優秀とされる2?3人がトップとされる進学校に入学することになります。そうすると進学先の中学校では、全員が学業優秀な生徒なのですが、その集団の中で同じような分極を生じます。  私が研究していた社会性アメーバの研究でも、集団と個の関係を見ると先ほどの人間の集団と個に通ずるような現象が見られます。社会性アメーバは餌が無くなると集合します。この集合は、最初の飢餓集団が中心となって、集合の信号である物質(サイリックAMP)をリズミカルに出すことで周囲のアメーバを集合させます。信号のリズムに合ったものは集合しますが、距離が離れていたり反応がずれていたりするものは取り残されてしまいます。栄養のある培地上では10〜20%のアメーバが落ちこぼれます(栄養のない寒天培地上だと落ちこぼれ率は5%ぐらいに低下します)。そして、最初の集合で落ちこぼれたアメーバを集めて再集合させると、同様に大部分は集合し、やはり同率のアメーバが取り残されます。基本的には優劣は無く、その時の条件に合わないアメーバが取り残されていることになります。大雑把に言えば、人間の場合も同じようなものです。ある基準で能力を分けると優劣を生じますが、その基準は一つの基準に過ぎません。  また、人間の場合は同一の基準で分けたものも、本人の資質で変化します。トップ校に進学したために自信を無くしてしまうこともあれば、二流校に進学して自信をつけ、目的にかなう大学に進学することもあります。結局、どのような状況に置かれても「それが最善の道」と決め、迷わずに努力することが肝心のようです。

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