原体験コラム一覧
科学実験データ一覧

生物学の視点での子育て13 絶対的な存在? バチがあたる その2

生物学の視点での子育て13 絶対的な存在? バチがあたる その2

 「バチがあたる」のバチは漢字で書くと罰ですが、漢字から受けるイメージと“バチ”の言葉から実際に受けるイメージには違いがあります。  罰という漢字は会意文字で、「刀」と「罵る」という漢字が組み合わされてできたものです。「小さな罪には、刀を手に持って叱る」という意味が込められています。  私たちの子どもの頃に、どのようなことをすれば「バチがあたる」と認識していたかを振り返ってみました。第一に、注連縄が張り巡らされ、神仏の祀られた聖域だとすぐに分かる場所を荒らすようなことは「バチがあたる」ことでした。さらに、野の神や山の神、水の神などの小さな祠の扉を開けて中を覗いたり、壊したり、その中にあるものを持ち帰ったりすることなども厳禁です。どれほどいたずら好きのガキ大将でも禁を犯すことはありませんでした。山の水源には水分神(みくまりのかみ)があり、ここも聖域とされましたから、オシッコなど持っての外(もってのほか)です。万一、そのような場所でオシッコをすれば○○○○が曲がると教えられていました。また、水源地帯や湿原には大蛇が棲んでいるとも言われていたので、恐ろしくて立ち入ることもできません。また、滝壺やすり鉢池には河童(カッパ)が棲んでいて足を引っ張るので溺れてしまうという言い伝えを信じ、やはり足を踏み入れることはありません。<  しょっちゅう蛇やカエルを捕まえて遊びましたが、あまり残酷なことをすると「タタリがある」と子供同士で戒め合い、残酷な遊びにも歯止めがかかりました。もちろん、人を傷つけることなど論外です。大人や親が子どもを叱るときにも“このバチあたり”と言って責められ、叱られました。今は“このバチあたり”などと叱る人はほとんど無く、言葉自体も死語になりつつありますが、してはいけないことは絶対に駄目という毅然とした態度やしつけは必要です。

前のページへ戻る